酸っぱいブドウ
イソップの有名な寓話。どうしてもブドウの実を取ることができなかったキツネが、「あれは酸っぱいに決まってる」と捨て台詞を残して去る。
心理学では合理化と呼ばれる。傷ついた自我の防衛機構だから深く追及するのも野暮な話だが、傍目にはやはり滑稽な姿。
こういう知識があると、望んだものを手に入れられなくても、掌を返してその悪口を言ったりはできなくなる。せいぜい「○○は良いけど、●●という側面もあるから、まぁ善しとしよう。合理化だけど。」と肩をすくめるにとどまる。
ここまでが前段。
ブドウが本当に酸っぱかったらどうなるだろう? あるいは後からそう聞かされたなら。イソップ風に続けてみる。
ブドウの悪口を言わないキツネのところへある日カラスがやってきて、「キツネさん、先日あなたが狙っていたブドウですけどね。食べてみたら、これがまぁ酸っぱいの酸っぱくないの。あんなのを口にしないで済んだあなたは運が良い。」と言った。
【ケース1】キツネは「私もそう思ってましたよ」と答えた。カラスは「やっぱり悔しかったんだね。実は甘かったよん。カカカカ」と笑って飛び去った。
【ケース2】あのブドウは酸っぱいという考えに取り付かれないよう、「あれは甘いブドウだ」と自分に言い聞かせていたキツネは怒った。「うるさい。ブドウの悪口を言うな」 カラスはあきれて飛び去り、噂を流した。「キツネったら、毎晩ブドウの夢をみて枕を濡らしているらしい」
【ケース3】キツネは努めて冷静に「そうかい。それは残念だったね。」と答えた。カラスはキツネをじっと見てから言った。「感情が鈍麻しているようだね。悔しいという感情を抑圧すると、いつまでも酸っぱいブドウに取り付かれることになるよ」
キツネさん、立場なし。自分は弱いキツネだから、みっともない合理化もしないではいられないんだ、笑いたければ笑え、と開き直るのも一つの道だろうに、自尊心が許さないのだろうな。
問題は、ブドウの本当の味が分からないこと。したがってカラスがからかいに来たのか親切心から来たのかも分からないこと。逆にカラスの意図が分かればブドウの味も判断できる。
今日の結論:友達を大切にしよう
明日の結論:よそで甘いブドウを食べれば、どうでもよく思えるだろう
第三の結論:キツネらしく肉食動物の道を歩もう
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