6日は多忙な一日
丸木美術館で開かれる「ひろしま忌」に参加するため出発。途中で銀行に寄り8月分の健康保険料を納入。
東武東上線の高坂駅で降り、市内循環バスに乗る。出発まで時間があるのでアイドリングストップした車内は徐々に暑くなってくるが座席でじっと我慢。やはり丸木美術館に行くとおぼしき人(同行者との話から出演者の館野公一さんとわかる)たちが乗って来たが、とりあえず知らんぷり。
定刻にバスは出発。進み具合を地図と照合すると、市内循環バスだけあって、やたらと回り道をしていることが分かる。寄り道をしなければ結構近いかもしれない。
美術館に到着後、まず都幾川の様子を見に行く。去年とはまた流れが変わっていて、これなら灯籠流しは楽になるかもしれない。ただ、停留しそうな箇所(死水域)もあった。
ボランティア?の人から「来館の折は声をかけて」と言われていたが、顔が分からないし、スタッフに尋ねようにもこの日の美術館は無料開放のため窓口は無人。となりのテントは友の会入会受付なのでパス(入会済み)、仕方がないのでそのまま一番奥のテントまで進み、とりあえずカレーで腹ごしらえ。時間があったので美術館を巡る。
原爆の図は第三部(水)に余白の多いことが気になる。一階に降りて東山薫の肖像に礼。それにしても丸木スマの作品や絵本の原画のスペースに来ると、なんとはなしにホッとする。
14時に太鼓の演奏が始まる。中学生と言うがなかなか勇壮。少し離れた四阿にいたので、その次のわらべ歌は夢うつつに聞き流す。善光寺の若麻績敬史住職の話は面白かった。もっと面白かったのは、配布資料(目立たない所にいたので配ってもらえなかった)で中国共産党を非難したり、麻生太郎(「部落民を総理大臣にはできない」という低劣な発言※をした人物)を評価したりしていたので聴衆の一部が混乱してしまった様子。
麻生は「半径2mの男」(端から見ていると強面で嫌な感じがするが、2m以内に近づくと魅力が分かる)と言われる男なので、会って話をした若麻績さんは惹き付けられたのであろう。上掲の差別発言を許すには血を吐くような自己批判を要求せざるを得ないが、それでもアックゼロヨンに対して協力的なのは評価したい。
卵の殻はどちらから剥くのが正しいか、で争う伝統は破棄したいもの。
続いて館野公一さんの歌。最初の歌はちょっと図式的っぽかったけれど※※、次の東海村臨界事故を扱った「語り歌」(バラード)はちょっとゾクゾクした。最後の「豚のご飯」は、フルバージョンは27分かかる(進行の遅れを気にしていた主催者は焦ったらしい)ものを端折ったということで詳細は分からないが、賞味期限切れのコンビニ弁当を食った豚がおかしくなったのは、たとえば塩分過多とかそういう栄養学的問題ではないのかな。必須栄養素とか必要量とかは生物種によって異なるから(ネコにドッグフードを食べさせ続けると失明すると言うし、ヒトがキャットフードを食べ続けると高カルシウム血症になるらしい)。
最後、ではなくてその一つ前の針生館長。田端 展の『被爆博覧会』を紹介。(しかし館長、遺伝的要因がないのにがんになったから被爆のせいって、コンビニ弁当のせいかもしれませんよ。) また語り部たる被爆者が全員鬼籍にはいる遠くない将来に対する備えが必要とも。
峠三吉「人間を返せ」の朗読を聞いてから灯籠流し。去年は川筋が悪くて流すのに苦労したが、今年は冒頭に書いたように流しやすい。ただ、流れの向きが変わる所で死水域ができている。その手前にスタッフが立って交通整理。
灯籠は下流ではゴミになってしまうので、最近は経費節減も兼ねて下流で回収していたが、今年はその様子が丸見え。うーん。 (と思いつつ去年のビデオを見直したら、回収班らしい人が映っていた。見れども見えず、ですな。)
帰りは高坂駅まで歩く。高をくくっていたら一時間近くかかってしまった。途中、かなり恐い思いもしたので、特に暗くなってからはお勧めできない。ただ懐中電灯を持っていればかなり楽(こういう時に限って携帯電話は電池残量わずかで明かり代わりに使えない)。
次の予定、池袋でのビッグイシュー販売員勧誘の集合時刻まで2時間という中途半端さ。とりあえず各駅停車でゆっくりと行く。
勧誘活動とは、野宿している人を回って、雑誌ビッグイシューの販売員にならないかと誘って回ること。この雑誌は「慈善ではなく、仕事を与えることで自立を促す」というコンセプトで発行され、登録したホームレス状態の人しか売ることができない。売上げ300円のうち160円が販売員の取り分。ただし完全買取制なので、仕入数を調整しながら完売を目指す工夫が必要。この能動的な取り組みが現金収入と共に社会復帰に資している。
さて平日夜ということもあり、集まったのはビッグイシュー基金スタッフを含めて4人。内女性が3人。2人は勧誘活動未経験。というわけで4人一組でゾロゾロと活動開始。
段ボールを敷いて寝ている人はホームレスと識別できるが、ただ座り込んでいる人との区別は難しい。大きな荷物が目印の一つだが、長距離バスの発車場そばはまた紛らわしいのがゾロゾロ。
この日はあまりホームレスと遭遇できず、また眠っている人が多かったためほとんどパンフレットを置いて来るだけで、話をできた人はほんの数人。ただ、そのうちの一人は早速7日から街頭に立ち、夕方の時点で30冊以上を売り上げている(30冊で売上げは9000円、6200円の所得)。時間をかけて説明をした甲斐があった。
※麻生太郎の差別発言
この件が広く知られるようになったのは、おそらく魚住 昭の『野中広務 差別と権力 』(講談社)でしょう。wikipediaの典拠にあげられていますし、amazonのレビューでも6人が触れています。
麻生本人は国会において、そういう差別発言はしていないと主張しつつも、自民党の総務会で指摘を受けた事実は認めています。
読んでいただければ分かると思いますが、麻生の答弁は、その日は政調会長ではない(前日まで政調会長)だとか、何大臣になるかは分からないとか、枝葉末節の解説が多く、「ははん。やっぱり言ったな」と思わせる所があります。
この議事録は膨大なので該当部分を引用しておきます。
中村(哲)委員 つまり、野中当時の議員が自民党の総務会でそのような趣旨の発言をされたということは事実であるけれども、麻生当時の議員が大勇会においてそのような、野中氏を誹謗中傷するような発言をしたことはないということでよろしいですね。
麻生国務大臣 そのように御理解いただいて結構です。
質問で「麻生当時の議員」とあるのは、その前の答弁で、当時は麻生大臣でもなく麻生政調会長でもなく「麻生議員と言っていただくのが正しい」と枝葉末節にこだわっていることへの皮肉? 「あそう」の後に一拍おいてから「とうじのぎいん」と読みましょう。
※※館野公一さんの歌
歌の背景が「今を去ること 50年前」なので、それを聞き落とした以下の感想は全く的外れ。50年前ならシアン垂れ流しの工場、開発命の小役人になんの違和感もない。
また「フルバージョンは27分」は司会者の誤解。いずれもmixiにおいてご本人から教示いただいた。感謝。
乱暴にまとめると「田園地帯にメッキ工場ができたら魚が捕れなくなった」という歌で、工場の排水口の上流と下流に魚のはいった生け簀をおいてみたら下流の魚は一晩で死んだ、と。
いつの話か分かりませんが、50年代ならまだしも、一晩で魚が死ぬほど有害物質を川に流す工場が今どきあるとは思えません。下流に魚の死体が浮いて、役人が飛んできます。おそらく工場内でも、処理済みの水をはった水槽に魚を入れてモニタリングしている筈で、急性毒性を示す物質が流れ出るとは考えにくい。もっとも石原産業やJFEスチールみたいな会社だったら別ですが(これも役所が発見・摘発しました)。
「それは図式的とは違うのではないか」と言われると、そうかもしれませんが。
ともかく「魚が浮く」みたいな分かりやすい公害は、役所が黙っている時代ではないでしょう。(工場の恩恵に浴さない下流の自治体とか県、国も控えている)
しかし慢性毒性や生殖毒性(不妊になる、仔が不妊になる等)となると話は別。たとえば毎年産卵する魚で、仔が不妊(孵らない卵を産む)になった場合、影響はその年にも翌年にも出ません。3年目になって稚魚がいないことで異変に気づく。そうすると、工場は一昨年から操業していて、去年は何ともなかった、だから無関係と推定される。地球温暖化のせいにされるかもしれません。
あとは特定の魚種とか特定の生育段階(卵、稚魚)とかにのみ毒性を示す場合も、通常の水質検査では見落とされますね。
耳で聞いて分かる歌にするのは難しいでしょうけど。(^^;
「いつの話か分かりませんが」と入れておいて首の皮一枚のこった。
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