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2008/01/27

釣り過ぎ、遙洋子

マイミクの日記からリンクを辿っていて遙洋子のコラムに行き着いた。要旨は、東京人は互いに無関心すぎないかというもので、まぁ妥当なのだけれど、導入部がいけない。

まず、タクシーばかりを使っていたという浮世離れした経済感覚の披露。続いて東京駅での乗り換え話で「私は自信を持って「京葉線」にたどり着き「海浜幕張方面」と書かれたホームに降りた。」とあり、これで続きが見える。案の定、武蔵野線に乗ってしまい、と言うほとんど古典の展開だが、(誤乗に気づいている筈の周囲に)「見殺しされたような」とか車掌に訴えたとか書くものだから、そこに限定した批判コメントが殺到。数えた訳ではないが、半分近くはそうだったのではないだろうか。

批判する方もちょっと「木を見て森を見ず」という気がしなくもないが、
・所要時間30分と知っていながら1時間以上乗り続けた
・東京駅で声をかけた乗客が「わからない」と答えたのに、それ以上追究せず漫然と乗車した
・電車の行き先は番線ではなく車両の行き先表示で確認するもの
・ホームにも電光行き先表示板があるのにそれを見ていない
・車内(各ドアの上)にも行き先表示があったのではないか
・途中、車内アナウンスがあった筈
・松戸とか越谷とか浦和あたりで変だと気づかないか?
などなどからして、話を大袈裟にしているのでなければ、度を過ぎたうっかりの告白にしか思えない。粗忽者は頭をかいていれば許されるが、醜悪な開き直りをしたら袋だたきと相場が決まっている。

だから、やはり脚色だとは思う。でもやりすぎ。

繰り返すけれど、本旨(「“無関心”と“保身”は私たちの人間関係や社会に蔓延」しているが、「変だと思えば「変だ!」と騒ぐ」べきだ)は、その通りだと思う。にもかかわらず、枝葉末節への文句を押さえられないのは性(さが)だろうか。罪滅ぼしを兼ねてリンクしておく(なお、会員登録しないと続きが読めないのは日経の方針のせいなので御容赦)。

東京駅の京葉線ホームで武蔵野線車両に乗ってしまうのは古典的、と書いたが、これも知っている側の言い分で、旅行者やnewcomerにその知識を要求したり、失敗を笑ったりするのは間違っている。という正論は頭で分かっていても、やっぱり「ちっ、粗忽者が」と言えるのは責任のない第三者だから。しっかりしてね>東京駅の中の人

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