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2007/04/02

国立ハンセン病資料館

春の陽気に誘われて、花見がてら新装オープンなった国立ハンセン病資料館(旧・高松宮記念ハンセン病資料館)に行ってみた。

桜が咲いたのとリニューアルのニュースを見たためだが、少し前に『独酌余滴』(多田富雄 朝日文庫)を読んだことも影響しているだろうか。

西武新宿線の久米川駅で下車。清瀬行きのバスに乗る…はずだがバス停が分からない。えいままよと歩き出す。工事中のバイパス(?)を歩くと自動車がほとんど来なくて実に長閑、なのは良いが、全編歩く根性はないので、本道に戻ってバス停を見つけたところでバスを待つ。見ると携帯電話で運行状況を知ることができると言う。2次元バーコードを読込む機能がないので懸命に親指で打ち込んでいるうちにバスが来た。orz

資料館停留所で下車すると目の前に資料館。バスを降りたのは私一人だが、入り口付近には人がちらほら。入場は無料だけれど、いちおう受付があるので寄ると性別・年代などの属性情報の提供(任意)を求められ、記入するとパンフレットをもらった。

展示は二階。重い常設展示(3部屋)を見ていると、企画展示の解説をするというアナウンス。

この企画展示は、韓国の国立ハンセン病療養所「国立小鹿島病院」元院長である趙昌源が描いた油絵展で、題して「趙昌源絵画展—小鹿島の光と影—」。小鹿島病院で起きた惨劇を後世に伝えるため筆をとったと言う。解説は趙先生ご本人。

説明の中には首を傾げざるを得ないものもあった(たとえば患者隔離政策は日帝が持ち込んだ、というのはまぁそうだろうが、それ以前には患者差別はなかったかに聞こえる言い方や、日本の療養所は上げ膳据え膳みたいな解説、あるいはアメリカは本土の患者をハワイのモロカイ島に隔離したなど)が、やはり現場の経験は説得力が違う。

印象的だったのは「生命の歌」の説明で、療養所では医者が少なかったため衛生兵の経験者(朝鮮戦争の後だったのでたくさんいた)が医療スタッフになっていた。彼らは戦地の経験しかないので、内科的治療で治るものまで外科的治療、つまり足の切断手術をしがちだったという話。

また療養者の子供(非感染)でサッカーチームを作り、全国大会に出ようとした際に、警察が阻止しようとしたのを実力で突破したという話。院長先生は軍人で(赴任した際も軍服姿だったという)、「警察なんて蹴っ飛ばした」と笑っていらっしゃったが、頼もしいような恐ろしいような。

常設展はとても一回では見切れないので、リーフレットにあるよう何度か通うことにしようと思う。

藤本事件資料はなぜか名前のところがマスクされていた。でも、本人上申書に名前がしっかり書いてあるから無駄なような。
ハンセン病資料館と桜並木


帰りは「『全生園の隠れた史跡』めぐり」をいただいて、桜並木から園内を散策。花曇りではあったが、花見客が楽しそうに幾組も宴を開いていた。そういえば戦前、園内の全生座で開かれた療養者による歌舞伎公演は近隣住民も観劇に訪れ、多い時は2日間で3000人に及んだと言うから、迷惑施設とは思われていないようだ。

帰宅してみると歩数計は14000を超えていた。

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コメント

国立ハンセン病資料館のドメインは http://www.hansen-dis.jp/ になった。しかし「企画展示」「趙昌源絵画展—小鹿島の光と影—」のページは消失した模様。

投稿: 細川啓 | 2015/12/13 14:51

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