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2007/04/30

検査目的で献血

肝機能値が知りたくて献血をしてきた。勤務先が行う健康診断には、検診車を使う標準的なものとは別に、健保直営または提携医療機関で行う人間ドックも選べるようになっている。ガタの出てくる年齢でもあるし、父ががん死していることもあって1日人間ドックを選択した。ところが予約がなかなか取れない。やっとの思いで取れたのが来年2月。やれやれ。


連休初日の土曜日。新宿に出たついでに模索舎へ行く。「ゆきゆきて神軍」のDVDとか、タモリ倶楽部で知った「酒とつまみ」とか面白いものが目白押し(「どこに目をつけてる!」と石が飛んでくるかな)。

目移りしたが、結局、先日観た「パルチザン前史」の滝田修あらため「たけもと のぶひろ」著の『泪の旅人』、泉麻人の『東京検定』そして堀田貢得の『実例・差別表現』を購入。

来る途中で献血の呼び込みがあった。そういえば昨年からやっていない。予定では年末に400ml提供して3か月のお休み中に花粉症の服薬期間を終わらせるつもりであったが、日赤が方針を変え抗アレルギー薬の場合は忌避しないと聞いて拍子抜けし、そのまま全血提供も見送りになっていたのだ。

そこで冒頭に書いた事情もあって、急きょ発心した。受付を済ませ、事前に答える質問票を受け取る。内容は前回と(たぶん)同じ。該当はするけれど問題はないとわかっている項目(毎回問診で説明)は、該当しないと回答する方が合理的だが、根が正直なので yesと答えてしまう。この辺りは改善の余地あり>日赤

以前は採血後に勧められた無料の飲み物は、このところ事前にも勧められるようになっている。ここにはホットアクエリアスはない。

採血中に鑑賞するビデオを選べるようになっているのに終わってから気づく。ま、いつも本を読むか寝るかしていて(途中で「はい終了」となるのも嫌だし)見ないから残念とも思わないが。

今回は血小板提供。利き腕から採血されたため反対の腕でまどろっこしく本を手繰っていたら眠くなってしまい、諦めて睡眠。そういえば「昨夜の睡眠時間は」という質問に、少しサバを読んで答えたな。昨夜は遅かったんだ。

手帳の欄が埋まったせいか、新しく献血カードをもらった。一見ただのプラスチックカード。

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2007/04/22

折り畳み傘初陣

土曜日に購入した新しい傘。防水性が売りなので水をかけたい誘惑にかられたものの、ぐっと抑えて鞄にしまう。

しかし機会は思いのほか早くやってきた。月曜日、退勤して外へ出てみると雨が降っている。普段なら悪態の一つも出てくるところだが、今日はウキウキと傘を取り出す。購買とは思わぬ効用があるものだ。多田富雄の「独酌余滴」には、ルーマニアの現状をさして「消費する喜びを知らない社会」とあったが、これも消費する喜びの一つだろう。もっとも新しい靴をはいて出たところで雨にたたられたらへこんでしまうが(雨靴を除く)。

この日はビックカメラに用があった。入り口で傘を畳み、軽く一揺すり。おお、傘袋は不要だ。

新しいデジタルカメラを購入して、さらに消費する喜びに浸った月曜日。


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ごめんね、アシストオン

骨(関節)が外れたのを機会に折り畳み傘を新調することにした。それまでのは水切れが悪くなり、また折り目が崩れて畳みにくくなって、電車内への持ち込みで難儀していた。そこで買い換えに当たっては小型であることに加え、撥水性を重視した。

フッ素樹脂などでのコーティングは、経時変化で性能が落ちる。素材レベルで水を弾く物がないかと探すと、あるにはあったが長傘ばかりで、しかもお値段が一桁違う

妥協して、アシストオンのサイトで見つけた「濡れたカサを小さく持ち運ぶことができる」とうたうKnirps "X1"を第一候補にして買いに出かけた。

途中、東急ハンズに立ち寄ると、それを売っているばかりか、より小さく軽く、強い防水性をうたい、そのうえ折り目が消えず、しかも安い物を発見。方針をコロっと変えて、そちらを購入。ごめんね、アシストオン。

ちなみに、防水加工はe-DRY by Nano Technology とやらで、Nano Technologyの解説には眉に唾をつけたくなるが、水弾きの良さが売りらしい。

心を引かれたのは「形態安定加工生地」という点で、「折り目が消えないので、簡単にたたむことができます」と書いてあった。

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2007/04/14

世紀を越えた名誉回復、そして汚名挽回

中学生の時だ。教師が、われわれ生徒の無教養と言うか不勉強を腹に据えかねて、国語の教科書に載った長文、『八丈実記』を著した近藤富蔵の伝記と記憶する、を一人ずつ順に音読させたことがある。つっかえたり読み間違えたりしたら即交代。どういう順番かは忘れたが、とにかく私まで回ってきた。長いと言っても20ページもある筈がないから、平均して半ページも続かなかったのだろう。門内の生徒、習いたる教科書も読めず、だ。

実は前日、ストッパーの密命を受けていた。とはいえ、下読みくらいはしただろうが、総ルビの虎の巻を用意した訳でもなく、半ばぶっつけ本番。

弁士中止の声もなく、淡々と読み進む。サドンデスなので、読む方もそうだが、聞いている方も緊張しただろう。瞬く間に最長不倒記録の連続更新になる。

何ページかは忘れた。とにかく文句は言われない程度に読み続け、疲れも感じてきたころ、「漁舟」という単語が出てきた。一瞬躊躇して「ぎょしゅう」と読んだところで、「ハイご苦労さん」。お褒めの言葉は賜ったけれど、まぁ間違えたわけだ。

そんなことを、調べものの最中に舟艇という語を見つけて突然思い出した。あれは正しくはなんと読むものなのだろう? 世紀を越えた疑問の解答は一瞬にして出た。オンライン辞典には「ぎょしゅう」と。

念のため、漢和中辞典と広辞苑にもあたってみたが、やはり「ぎょしゅう」で正しい。なんか力が抜けた。

かくして世紀を越えて名誉回復はなった。

だが、漢和辞典も広辞苑も、当時から家にあったもの。あの日、帰ってすぐに確かめれば、翌日には職員室にねじ込めたのに。詰めの甘い性格を再確認することになってしまった。これぞ、文字通りの汚名挽回。

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2007/04/08

五人組

アテネ・フランセ文化センターで開かれている上映会「小川紳介と小川プロダクション」で「パルチザン前史」を見てきた。開場前に列はできていたけれど、蓋を開けてみれば観客は60人程度か。 昔笑いが起きた、時計塔で裏返しなっていた旗のシーンは誰も笑わず。

台本と、ついでに「辺田部落日録'71.9-'72.11」を購入。計400円。よく残っていたな。(日録は見覚えがあるので昔購入した事があるのかも)

議論、と言うか言い争いのシーンになると何を言ってるのかわかりにくいので台本は助かる。もっとも、読んでみても論理展開がつかめない個所はあるが。またあたかも現地録音のように「今こそ 別れめ (聴取不能)」となっている大阪市大陥落時に学生が歌う「仰げば尊し」は実はアフレコ

議論の場に女性の姿はない。救対(逮捕時の救援対策本部)が女子学生なので京都大全共闘も性別役割分担か、と思っていると再封鎖された文学部棟にやってきた見るからにノンポリチックないでたちの女子学生が、柱に書かれた「再封鎖」の字をしばし眺めてから、やおら下に置かれていた筆をとって「斗うぞ」と書き足すのでびっくり。学生の会話から、その決意はファッションではなく実践に基づいていたことが分かる(「あの女の子な、勇敢だったぞ!ものすごく!」)。

また時計塔で篭城準備を進める中核部隊のなかにもきりりとした女性達が映っている。このシーン、台本には「女子“工兵”がめだつ」「汗で髪がひたいにはりついたまま、わきめもふらずに働いている、白ヘルメットの女子学生。」と書かれていた。

余談になるが、目立つ女性活動家は当時「〜のローザ・ルクセンブルグ(またはゲバルト・ローザ)」と呼ばれたようだ。第一号は東京大の院生らしい。

ちなみに映画では、本名でローザ・ルクセンブルグに関する論文も発表している滝田修が蔵書からルクセンブルグの腐乱死体(ドイツ革命のさなか、右派に殺害され、川に投げ込まれた死体が確認されたのは半年後だとか)の写真を示し、繰り返し「ごっつい写真ですわ」と繰り返していた。革命家の過酷な運命を思ってのことだろうが、このとき彼は自らが無実の罪に問われて10年余の逃亡生活と7年近い拘禁生活を強いられることを知らない。

さて本題。ここに登場する滝田らは党派に所属していない。党派がそれなりの力量を発揮していることを認めつつ、その「丸抱え」を批判して自分たちの闘い方を模索する。そして出てくるのが五人組。キーワードが「義理と人情」というのが面白い。

この手のものは、一方に偏ると相互批判が高じて相互批難から内ゲバへ、他方に偏ると現役ならば傷の舐めあい、「卒業」後は思い出を語りあうだけの同窓会になってしまう。後者を食い止めるのが義理、前者を防ぐのが人情なのかなぁと漠然と思う今日この頃。

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2007/04/02

国立ハンセン病資料館

春の陽気に誘われて、花見がてら新装オープンなった国立ハンセン病資料館(旧・高松宮記念ハンセン病資料館)に行ってみた。

桜が咲いたのとリニューアルのニュースを見たためだが、少し前に『独酌余滴』(多田富雄 朝日文庫)を読んだことも影響しているだろうか。

西武新宿線の久米川駅で下車。清瀬行きのバスに乗る…はずだがバス停が分からない。えいままよと歩き出す。工事中のバイパス(?)を歩くと自動車がほとんど来なくて実に長閑、なのは良いが、全編歩く根性はないので、本道に戻ってバス停を見つけたところでバスを待つ。見ると携帯電話で運行状況を知ることができると言う。2次元バーコードを読込む機能がないので懸命に親指で打ち込んでいるうちにバスが来た。orz

資料館停留所で下車すると目の前に資料館。バスを降りたのは私一人だが、入り口付近には人がちらほら。入場は無料だけれど、いちおう受付があるので寄ると性別・年代などの属性情報の提供(任意)を求められ、記入するとパンフレットをもらった。

展示は二階。重い常設展示(3部屋)を見ていると、企画展示の解説をするというアナウンス。

この企画展示は、韓国の国立ハンセン病療養所「国立小鹿島病院」元院長である趙昌源が描いた油絵展で、題して「趙昌源絵画展—小鹿島の光と影—」。小鹿島病院で起きた惨劇を後世に伝えるため筆をとったと言う。解説は趙先生ご本人。

説明の中には首を傾げざるを得ないものもあった(たとえば患者隔離政策は日帝が持ち込んだ、というのはまぁそうだろうが、それ以前には患者差別はなかったかに聞こえる言い方や、日本の療養所は上げ膳据え膳みたいな解説、あるいはアメリカは本土の患者をハワイのモロカイ島に隔離したなど)が、やはり現場の経験は説得力が違う。

印象的だったのは「生命の歌」の説明で、療養所では医者が少なかったため衛生兵の経験者(朝鮮戦争の後だったのでたくさんいた)が医療スタッフになっていた。彼らは戦地の経験しかないので、内科的治療で治るものまで外科的治療、つまり足の切断手術をしがちだったという話。

また療養者の子供(非感染)でサッカーチームを作り、全国大会に出ようとした際に、警察が阻止しようとしたのを実力で突破したという話。院長先生は軍人で(赴任した際も軍服姿だったという)、「警察なんて蹴っ飛ばした」と笑っていらっしゃったが、頼もしいような恐ろしいような。

常設展はとても一回では見切れないので、リーフレットにあるよう何度か通うことにしようと思う。

藤本事件資料はなぜか名前のところがマスクされていた。でも、本人上申書に名前がしっかり書いてあるから無駄なような。
ハンセン病資料館と桜並木


帰りは「『全生園の隠れた史跡』めぐり」をいただいて、桜並木から園内を散策。花曇りではあったが、花見客が楽しそうに幾組も宴を開いていた。そういえば戦前、園内の全生座で開かれた療養者による歌舞伎公演は近隣住民も観劇に訪れ、多い時は2日間で3000人に及んだと言うから、迷惑施設とは思われていないようだ。

帰宅してみると歩数計は14000を超えていた。

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デジタルカメラが壊れた

2年前に購入したOptioWPの撮像にノイズが入るようになった。新聞記事を切り抜く代わりに撮影したら、まるでブラウン管の映像を撮ったように横縞入り。

ニフティのフォーラム終了を伝える横線の入った新聞記事

これが当の記事。オリジナルを拡大すればかろうじて記事本文は読めるので、いずれ取り上げる予定。

もちろん縦に構えて撮れば縦じま入りに。

レラ・チセ祭り受付(縦縞入り)

仕方がないので修理に出した。ふだん持ち歩いていただけにないと落ち着かない。道端に奇妙な大木があったので携帯電話で撮ろうと苦労した、なんてまで見る始末。

街歩きをする際にデジタルカメラは必携です。でも携帯電話のカメラは、どうも撮影する格好が気に入らない。なにか軽薄を絵に描いたように思えます。この際だから(修理には出しているけど)素早く、さりげなく撮影できそうな新機種も探してみましょうか。

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