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2007/03/04

40年経って、新宿は今

不覚にもブログ更新が2ヶ月滞ってしまった。

昨年は年頭に「ブログに最低100エントリー」という目標を立て、クリアしたのは良いが、「2007年はハードルを上げて」と意気込んだのが失敗の元。

やっぱり初エントリーは年頭所感でしょうと思っていたのに、お屠蘇気分のうちに機会を逸し、新たな目標は「帳尻合わせのために集中書き込みはしない」だったのでますます書き難く。

一緒に止まっていたmixi日記は2月に勤務先で開いたセミナーでしゃべるのを機会に復活できたが、こちらは最長不倒記録更新中。

パソコン通信に熱中していた頃、「3日やったら止められないけど、3日止めたら止められる」と言われていたのを思い出した。

止めてしまうと早々に目標未達確定となるので啓蟄を機会に再開する。

さて、本題。

昨日、在米の知人(日本人)が母堂の一周忌と学生時代に師事した教官の退官記念講演に合わせて一時帰国したので新宿で飲み会を開いた。

彼とは生化若手の会(生化学若い研究者の会)で知り合い、turn overのゆっくりな連中で「年長組」を作って付き合ってきた。今回もその年長組4人衆+αで、いつものHHで飲む予定であった。

予定より少し早く着いたので、ルートを変えて花園神社に立ち寄った。ここは黒テント、いや紅テントか、が芝居をやっていた場所。神社とアングラという取り合わせが前から気になっていた。Wikipediaによると、かの「腰巻きお仙」に「『腰巻』では国体に反する」とクレームがついたり、神社総代会より使用禁止を通告されたりと、別にシンパでもなんでもなかったようだ。

もっとも公式サイトをみると


安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです。

と劇団公演には一定の理解があったことが窺われ、

戦後、甲州街道と青梅街道が交差する開かれた街「新宿」は、雑多なエネルギーに満ちた新しい文化の発信地になりました。花園神社は、そうした文化を育む役割も担ってきたのです。唐十郎らの芝居や、上々颱風をはじめ国内外のアーティストによるライブが行われる舞台として、親しみを持っている人も多いでしょう。

別に恥部とは思っていない模様。

さて、境内を歩いていて、ふと口をついたのが「新宿見るなら...」。これは唐十郎が新宿を引き払うときに言ったらしいから、上記の使用禁止を受けての「さらば花園!」にあるのだろう。

ところが困ったことに、正確な文言、特に続きが分からない。意味としては「新宿を見るなら今のうちだ。そのうち新宿は廃墟になる」なのだが、記憶を頼りにネット検索をかけると複数の説がある。

「新宿見たけれゃ今見ておきゃれ、今に新宿焼け野原」(amazon.co.jpにある森山大道の本のレビューほか)

「新宿みるなら今みておきゃれ。今に新宿、原となる。」(空とぶじゅうたんどこへゆく

「いまに新宿 原になる」(新宿'60sツアー

「新宿見るなら今みておきゃれ、今に新宿 原(はら)になる」(Re: J.ウッズは1947年生まれの「ベトナム反戦世代」

「新宿見たけりゃ 今見ておきゃれ じきに新宿 原になる」(日本映画専門チャンネル

「新宿見たけりゃ/今見ておきゃれ/じきに新宿/原になる」(焼け野原という異聞もある)という有名になったフレーズの出典が、この「月笛お仙」の続演を報じるチラシだったという事に今回初めて気がついた。」(『電脳・風月堂』(資料1)

最後の「電脳・風月堂」はチラシの現物(ただし10月の続演を報じる方ではなくて、8月初日を告げる7月のもの)があるので、おそらく一番正確だろう。ただ、そこをして「(焼け野原という異聞もある)」と注釈をつけている。

少なくとも「見るなら」「見たけれゃ」「今に新宿」は誤りと言えよう。また「さらば花園!」とも関係はない。

ちなみに前段があって、それはまた凄まじい。


「お仙」見たけりゃ

今見ておきゃれ

母ァ殺して 銭つくれ

(「母ァ」は「かかぁ」と読ませるのだろう)

打ち捨てられたチラシがよみがえるのはネットならではだが、不正確な引用が多いのもまたネットの欠陥(上に挙げたほかにも、明らかにうろ覚えというものが見つかっている)。

新宿'60sツアーは、花園神社でビラを読み上げたというのだから、その画像なり全文を載せてくれれば良かったのに。正確な読み上げであることを証明するためなら引用による利用として法的には許容される範囲内。

さて、40年経って、新宿は原にもならず、まして焼かれることもなかった。

肝心のHHは、なんと当日貸し切りで、いきなり飲み屋難民と相成りました。かつては「アンネの隠れ家」と呼ばれた穴場だったのに、いつの間にかネットでも紹介されるし、メジャーになったと言うか、借り切るなんて仁義知らずが来るようになったのね。

雑踏の中を店を求めて彷徨い歩くと、知人曰く「繁華街は久しぶり」と。なにしろ彼の地は庭に小川が流れシカが遊びにくるは、「ご近所」というのは自動車で行き来をするは、職場は高層ビルの中という状況らしいのだ。

なんとか店を見つけ、遅れてきた2人も無事合流して、近況と昔話に花を咲かせることができた。逸話も結構あったけれど、それはまたの機会に。

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コメント

ブログ再開、楽しみにしていました。管理人の方に何かあったのかな? と気をもんでいましたが、思い過ごしだったようですね(笑)。ともかくは再開おめでとうございます。
新宿の花園神社周辺は、独特の雰囲気がありますね。新宿区役所の反対側の旧都電通り、ゴールデン街周辺もそうです。古きよき新宿、の原点なんでしょうかね。

投稿: キャセロール編集人 | 2007/03/10 06:43

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大学は化学系だったので、研究室にはガラス細工の場所があった。入ったばかりの4年生 [続きを読む]

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