『ワーキングプア』
働いても生活保護水準以下の収入しか得られないのがワーキングプア(働く貧困層)。これで居住地の制限があったら農奴と同じ。日本におけるワーキングプアの深刻な実情が報告されている。
ただ、巻頭に石川琢木の歌を引いているのには違和感を覚える。確かに彼は貧窮の中に没したけれど、それはたぶんに本人の浪費が原因であって、ワーキングプアと同列には論じられないだろう。東京朝日新聞時代の給与(25円+夜勤手当で実質30円)は「悪くない」よりは「良い」部類であったそうだし。
月に三十円もあれば、田舎(ゐなか)にては、
楽に暮せると——
ひょっと思へる。
悲しき玩具
もっとも実際のワーキングプアの中にも自堕落、は言い過ぎとしても本人の問題が大きく思える例がある。その点、その子供達が人生のスタート地点からハンデを負い、いわば貧困を相続していることには100%同情するし、危惧される。階層の固定化につながり、社会の闊達さが失われかねないからだ。
なお本書を購入しようと思う人は、下記のお茶の水博士のブログからどうぞ。
http://big-ogawa.seesaa.net/
(なぜかアクセスできない...マイミクからも消えているし...胸騒ぎ)
お茶の水博士(仮名)はビッグイシューの元販売人、つまり元ホームレス。ワーキングプアどころか仕事も、住むところさえ失っていた。本書に収められた経験談によれば、それはあっと言う間のことらしい。上に書いたことと矛盾するようだが、普通の暮らし、むしろ羽振りの良かった人の方が、いったん歯車がずれると立ち直りが難しく、事態を悪化させてしまうのも恐ろしいところだ。
かくいう私もこの2月に整理解雇され、ながく失業状態にあったので他人事ではない。不安定で低賃金でも職があるとないとでは大違いのように思えるが、新たな職探しが難しくなればそれ以上の改善は望めないわけで、「なんでもいいから」に追い込まれなくて本当に良かったと思う。(勤めだして振り返ると、なにしろ今度は面接する側に引っぱりだされるので否応無しに思い出されるのだが、自分はずいぶんと認識が甘かったと冷や汗が出る思い。)
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