現代の貧困(論座1月号)
月刊「論座」1月号の特集は「現代の貧困」。
特集の前の「潮流07」にも「インターンシップという美名に潜む使い捨て労働者」という恐い記事がある。日本人も中国からの研修生のように使役されるのだろうか。
さて内容は、さきの『ワーキングプア』を裏付ける実態。そしておぞましい「貧困ビジネス」の繁盛ぶりも。
「on the edge 〜崖っぷちに立つ若年フリーター」を読むと、ちなみにオンザエッジと読むとライブドアの旧社名というのも皮肉な気がするが、オンジエッジであろう、追い詰められて人間としての尊厳を忘れさせられた青年が登場する。
アルバイト生活なのに「ちょっとした余裕」が欲しくて消費者金融(高利貸し)から借金し、数年後に200万円に膨れ上がらせ、夜逃げをしてホームレスなったなんて読むと呆れ返るばかりだが、よく考えれば義務教育は彼に「人類最大の発明」を教えたのだろうか?
性格的にいくぶん問題はありそうだが、この程度の性格でもっと能力が低くても、今までは十分社会生活を営めたし、今でもちゃんと納まっている人は多くいるだろう。彼が脱落したのは本人の問題なのか、それとも社会に余裕がなくなった結果なのだろうか。自己責任論者はカナリアがもがき苦しむのを見て面白がっているのではないだろうか。
次に登場するフリーター 氏は、貧困の固定化を呪い、社会の流動化の手段として戦争を渇望する(かのよう書く)。そんなに戦争がしたければ自衛隊でも外人部隊でもアルカイダにでも行け、で終わらせられれば話は楽だが、幸か不幸か「論座」もそんな釣餌をぶら下げるまで落ちぶれてはいなかった。
できることなら戦争なんて起きない方が良いと断った上で、こう結ぶ。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することを躊躇しないだろう。
あれ、どこかで読んだような気がするフレーズだな。と思って記憶をたどると見つかった。鈴木貴博のコラム「ビジネスを考える目」だ。
そんな世代間の闘争が、残念ながらこれから先、再び、そして三度(みたび)起きてくる。我々の世代が、若者の世代に雇用機会をはじめとする様々なチャンスを平等に与えられなければ、きっとそうなることだろう。
そして、なんとかそれらの若いパワーを権力で押さえ込まずに、解決の道を見つけてあげられないと、我々の世代も含めて未来は暗いものになるだろう。
なぜそう思うのか? もし三度、若い世代の闘争を権威でつぶしてしまったとすると、四度目に現れる若き挑戦者はおそらく武力と集団を武器に現れる。そしてそれは先進国としての終わりを意味するであろうからだ。
フリーターが言えば誤読されるけれど、コンサルタントが言えばエスタブリッシュメントも耳を傾ける(なにしろ日経のプレミアムサイトに載ったコラムです)。そのことがまた彼を苛立たせるのだろうなぁ。
ご本尊のblogについたトラックバックによると、論座を読まない批判もあるという。お望みのB vs. C の闘いも同様に仁義なきものになることは織り込み済みだろうか。
また別のTBは突き動かす名状しがたい諸々にシンクロ出来ないと書いていて、私にはこの方が得心がいく。一言で済ませるなら、彼は蜃気楼に向かって石を投げているのだ。
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コメント
こんにちは
20年前に米国を西から東,東から西とバス旅行しました。当時の日本では,米国は豊かな米国というイメージでしたが,どの都市にもスラムがありました。日本はこんな国を手本していてはいけないと思ったものです。
日本の今の流れを変えないといけませんよね。
投稿: ジャン | 2006/12/13 18:37