« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006/11/27

岡山訪問

所用で岡山に行ってきた(10/11,12)。

新幹線「のぞみ」に乗るのは初めてではないが、昼間は初めてというのを失念していた。油断して窓外の流れる景色を見ていたら気分が悪くなってしまった。帰りは通路側を取ることにしよう(念願かなって、帰路は新大阪まで通路側、それから同じ列車でB席(三列中央)だった)。

東京は雨だったが、岡山は曇り。翌日には快晴で、長傘は見事にお荷物。

雨の上がった岡山駅前

岡山市民会館で遠藤邦基と田中克彦の講演を聴く。偉い人が読み間違いをすると、おべんちゃらがそれを正しいものとして広め後世に残ってしまう話を聞くと、昔も今も人間って変わらないものだと改めて思う。古典を読むには批判的視点が大切だ。いま「聖書じゃないんだから」と書こうとしたが、実は聖書こそ筆写ミスの宝庫らしい。

閑話休題。田中克彦は名前くらいしか知らなかったが、現物は予想とだいぶ違った。日本の大学が「Brotstudium(飯の種になる学問)」ばかりに走って崩壊する、と大層悲観的。それもこれも勉強嫌いが政治家になって、その政治家が大学教育をいじるから、と首大学を作った障子破り都知事閣下などを引き合いに弾劾するが、実務を進める官僚は勉強一筋...あ、文部官僚は別格か(某官僚から個人的に聞いた話なので具体的には書けないが、旧文部省の感覚って、ほかの霞ヶ関の人間から見ても異次元世界のものらしい)。

教育の「恐ろしさ」は、かつて神州は不滅でB29は竹槍で落とせると信じた軍国少年(1934年生)なので骨身に染みているのだろう。

過日、田中の訳した『ノモンハンの戦い』(岩波文庫)を読んだ(不覚にも国境を巡る小競り合い程度にしか認識していなかったが、大規模な戦闘だったとしって驚く)。従軍作家の見聞記である第二部は興味深い。もし日本軍があの大敗をしっかり総括していれば、第二次世界大戦の悲劇は避けられたかもしれない。ま、そうだと今でも徴兵制や特高が残っていたかもしれないので、歴史を変えてやろうとは思わないが(歴史に「もし」はないとは言え、大日本帝国が賢く欧米との対立を避けていたら、核兵器は開発されなかったかも...うーん複雑な気持ち)。

講演内容とは関係のないことだが、市民会館の椅子の傷み具合から地方経済の疲弊が見えたような気がする。街に少しはお金を落としてくるべきだったな。

市民会館の傷んだ椅子

翌日は岡山大学へ。岡山大学と言えば糟谷孝幸(1969年、機動隊員に撲殺される)という人もいるだろうが、私は『思想としての風俗』で紹介されていた、関西全共闘最後の砦を見たかった。「パルチザン前史」にも描かれていた、時計台を占拠した学生が圧倒的な警察力の前に敢えなく落城する刹那、最後に歌ったのが「仰げば尊し」だった−−今こそ別れめ、いざさらば−−という伝説の大学。

だが、大学にある時計台は図書館のもので、どうも様子が違う。

岡山大学付属図書館の時計塔


帰ってきてから調べてみると、どうやら件の時計台は大阪市立大学だったらしい。あれぇ、記憶って当てにならない。

もっとも調べているうちに、「パルチザン前史」での歌声は、現地の録音はヘリコプターの轟音ばかりで、人の耳には聞こえた学生の歌声が入っていないため、別に録音した歌声を重ねあわせたものという文章も発見。これは映画を見た時に、ヘリコプターの音に比べて歌声が不自然に感じられたことに符合する。え、それこそ作られた記憶だろって? うむむ


岡山駅のホームで見かけた四国学院大学の学生募集看板。私がこの大学について知っていることはただ一つ、傑作アホ映画サマータイムマシンブルースロケ地だったということ。おーおー、あの時計塔も描かれているね。

四国学院大学の広告

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006/11/26

全盲の喫煙者

私はタバコを吸わない。そばで吸われようものなら嫌みの七つも言わないではいられないたちだ。

ところが先日、珍しい?ものを見た。全盲の喫煙者だ。先天性の盲だというので文字通り「見たことのない」タバコと火を使いこなしていた。いったいいつ、どうやってタバコを覚えたのか聞いてみたが、盲学校の教師が吸っていたのを不思議に思っていたけれど、気がつけば自分も吸えるようになっていた、と煙に巻かれてしまった。

障害者の自立という視点からは、一人で火が扱えるというのは重要だ。裸火を扱う機会は減ったとは言え、誰も彼もがオール電化住宅に住める訳でもない。事故は心配だが、安全に使えるなら過剰な規制は大きなお世話(電気だって感電やら漏電やら危険性はある)。


またmixiのビッグイシューコミュでも話題になったが、まともな人間ならタバコなんざ吸わないのが当然ではあるものの、現実には「人間の屑」と断定するのは忍びがたい人も喫煙している。その人達に認められている愚行権を、ホームレスだから、身体障害者だからと認めないのは差別になる。

メクラが独りで火を使うなんて危ない、という理由ではなく、たとえ安全に扱えてもタバコはお止めになった方がよろしゅうございます、と晴眼者に対するのと同じ理由で諌めなければならないのだ。

悔しいかな、その人にはテーブル上の灰皿の位置を教えてしまった。喫煙に協力するなんて、金輪際ごめんだよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »