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2006/10/16

『わかったつもり』(光文社新書)

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 西林 克彦 (著) (光文社新書)

先に取り上げた『なぜ伝わらない、その日本語』は筆者の側を問題にした。本書は読者を問題にしている。

で、言わんとするところは…とまとめてしまうと「それは君の“わかったつもり”ではないのかね」と突っ込まれるので深読みを披露しよう。

本書には2つの前提がある。
1)文章には通り一遍では読み取れない深い意味がある
2)それは読み取る価値がある

だが、いつもいつもそれが成り立つとは限らない。著者も気づいてはいるようで、p.177に「残念なことに、書き手の責任としかいいようのない場合も存在します」とある。これは「わかったつもり」が壊れて表出した矛盾や無関連が克服され、「よりよくわかる」状態に進む点について述べられたもので、1)に該当する。

2)の問題にはお気づきではないようだ。しっかりと読解した結果わかったことが「実はどーでも良いこと」だったらがっかりだ。時間の無駄。文学研究の皮肉な定義に、「大昔の、今ではほとんどの人が知らない大したことのない作家が、少し後の、これまた忘れ去られた同時代においてさえどうでも良い作家に与えた影響を調べること」というのがある。それがまったく無意味であるとは言わないが、たいていの場合、そんな事がわかったところで「それで?」となる。少なくとも工学部の人ならそう言っても不思議ではない。

だいたい深読みも度を過ぎればインテル・ペンティアムCPUアーキテクチャ・レファレンスマニュアルから脱構築文芸批評的手法を用いてケネディがゲイであったことを論証することだってできちゃうらしい。それはそれで面白いとも言えるけれど。

なお、上記の例が載っている『新教養主義宣言』(山形浩生)にはまた、「手っ取り早い結論は諸悪の根源である」という素敵な論考が載っている。

『なぜ伝わらない、その日本語』は、「読み手に苦労をさせるな」が主張だ。これは大体の場合において正しい。伝えたければ伝わるように書けと言うこと。ただ、書き手は読み手を選ぶ権利もある。ろくでなしが偉ぶってする「読者の選別」なんざ無視しても構わないが、秘密の鍵を手にすることで役に立ったり楽しかったりすることはあるから、あまり世の中を甘く見ない方が良い。

まぁ、ネットに限れば書き手は稚拙、読み手の目は節穴で、気違い帽子屋のお茶会もかくやというのが悲しい現実か。

本書は誤読の陥穽をいくつか例示している。これを逆用すれば、誤解され難い文章、わかりやすい文章が書ける。そしてまた相手を騙す文章もまたやすやすと書けてしまうのだ。人は自分の読みたいものを読み取る。


蛇足。第四章で挙げられている著者の「ふしぎに思う」の定義には違和感がある。

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コメント

> 2)の問題にはお気づきではないようだ。

は言い過ぎで、著者も読み飛ばしても良いものと精読が必要なものとを分けていました。ただ、精読の必要なものが期待通りにちゃんと書かれているかは別のお話。

投稿: 細川啓 | 2006/10/22 18:47

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